伴庄右衛門家は江戸時代初期から活躍した八幡商人の一人で、屋号を「扇屋」といい、主に畳表・蚊帳(かや)を商い豪商となりました。5代目の伴庄右衛門資芳は隠居後京都で暮し、伴蒿蹊と称して国学の道に進みました。 今に残る旧伴家住宅は7代目が文政10年(1827)より天保11年(1840)の10数年をかけて建築したものです。後、明治になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校として利用されました。戦後は近江兄弟社図書館となり、のち近江八幡市立図書館として親しまれていました。平成16年4月より現在の形で公開しています。なお、管理・公開は公益財団法人八幡教育会館が行っています。(文章・画像等は「近江八幡市公式webサイト」より引用許諾済み)
江戸時代に賑わった宿場町。虫子窓や格子を巡らせた家並みと石の道標が当時の名残を留める。
天台修験の三大聖地のひとつ。毎年8月1日、修行僧が琵琶湖面に突き出た棹から飛び込む「棹飛び」が有名。
織田信長が建立。本堂ほか7つが国指定「重要文化財」。1579年浄土宗と法華宗の「安土問答」の寺として有名。
605年、人魚の哀願から聖徳太子が建立したと伝わる。高さ7mの千手千眼観世音菩薩像が安置。
1300年前、日本初の国営牧場が建設された地に、736年聖武天皇が創建。馬の聖地として名高い。