「エイリアン・トリップ vol.07」 公認DIGGER 湯川カナと、ネパール出身の山岳ガイド・シェルパさんによる須磨区・須磨浦レポート・後編です!
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△ザ・峠の茶屋な風情。いいですな。
創業昭和6年。
いかにも山を愛するひとがつくり、山を愛するひとを迎え入れる、けれんみのない佇まい。
ホッとしながら入ると、一面に、山の写真や新聞の切り抜き記事が貼ってありました。
六甲山もあれば、富士山も、ネパールの山、もちろんエベレストも。
そして、ネパール地震の大きな記事に、神戸の募金で支援の物資を送った記事も。
シェルパが「そうですか。初めて知りました。嬉しい」と新聞の切り抜きを見ていると、茶屋の主が「やあやあ」とにこやかに現れました。
△「ひとの善いおじさん」3人分くらいをぎゅっとまとめてひとりにしたような、奥武志さん。
ものすごく人当たりの良い茶屋の主は、奥武志さん。
「いや、実はね、私、来週、ネパール行くんですよ」
奥さんも登山をされるとのこと。シェルパとふたり、なんだか知らない地名とか、そこの急すぎる飛行場の話で盛り上がっています。
あ、とりあえず、ビール……なんかわかんないけど、その「3本セット」ってやつを!
主をつかまえて、お話を伺います。
すごいですねー、昔から登山を?
「いや、10年前に、この旗振山に来たのが初めてですよ。それもね、逃げるために」
神戸でずっと、運転手付きの役職で仕事をこなしていた、奥さん。
十年前、59歳で会社を退職。それまで夢に見ていた「毎日映画館」の生活をしてみるも、2週間でつまらなくなった。
これまで仕事ばかりしてきた。趣味などない。どこにも自分の居場所がない。
まちから逃げるためにふらふらと登ってきたら、思いがけず山上で、噴水があり、親につれられたこどもの歓声が響き、そして山をわたる快い風、眼下にひろがる海に出会った。
△たしかに、たくさんの部下に慕われていたであろう風格が漂っています。
こんな良いところがあったのか。
よし、明日から、毎日登ろう。
3日でフラフラになった。
4日目からは、本当に、這って登ってきた。
その頃、このあたりは荒れ果て、空き缶をはじめゴミだらけだった。
仕事をしてきたときの罪ほろぼしのつもりで、掃除もはじめた。
毎日、登った。
この茶屋の先代に、可愛がってもらった。
2年目、六甲縦走を走った。
4年目、その先代が、ずっと「連れて行きたい」と言っていたネパールの旅路で、亡くなった。
翌年、弔うつもりで、自分でネパールを訪れた。それが、ネパール行きと、この茶屋の主を、はじめたきっかけ。
△大きなおあげと、とろろ昆布と、おネギいっぱいの、温かいきつねうどん。なんだよもう、山のひとみんな、べらぼうに温かいよ!
奥さんは、現在、兵庫県山岳連盟理事。
ネパールの大地震の際も、積極的に支援活動を行った。
まちから逃げてこの山に来たあの日から十年、いま69歳。
いまは茶屋の主として、あたりの清掃を続けながら、山を楽しみやすい環境づくりや、こどもたちへの教育活動を一生懸命にしている。
来週からまた、ネパールに行くところ。
△いい話だー! 3本セット追加! えー、酔ってないでふ~。ねー、なんかふらふらするよ~。高山病かにゃ?
なんか……泣けた。
なんでみんな、こんないいひとなんだろう。
すみません、ビール、追加で! あの、3本パックね!!
△奥さん、ありがとう! ネパール、楽しんでね!! 教育への熱い思いも、素敵でした~。
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外に出ると、もう空の色が変わっていました。
△空と海とのあいだに山があり、山のうえにひとが立つ。ひとはちっちゃいね。
帰りはリフトで、鉢伏山まで、ひとっ飛び。
そのあいだに、摂津と播磨の国境がありました。さすが、みやこのすまっこ。
……っていうか、シェルパが飛び降りそうで、ヒーヤヒヤ。
△くにざかい、通過~。シェルパ、飛び降りないでね!
なんせこのひと、8000メートル超の登山の帰り道、6000メートルからパラグライダーで飛び出すのが大好きなんです。
富士山ふたつ分くらいだってば!
危険じゃないの?
「危ないですね。だからいま、奥さんにも、止められてます。エベレスト行くのも」
リフトを降りて、とことこと登山道を降りながら、エベレストの話を聞きました。
エベレストの場合、シェルパの死亡率は、実感として50%近いのだとか。
隠れたクレパス、崩れる崖。
シェルパが何度も何度も往復してルートを確認する。さらに本番、重い荷物を背負って運ぶ。
そのリスクのうえでようやく、ゲストの死亡率が、10%くらいまで下がるのだそう。
やっぱり、危ない。
姪っ子のチャムジちゃんが登頂した日も、好天による混雑というまさかの状況のなか、登山を断念する判断ができなかった4名が亡くなった。(すれ違ったチャムジちゃんを含め、まわりは止めた、と、記録あり)。
もちろんチャムジちゃんも、無事で戻れない覚悟はしていた。そこはシェルパ。お父さん、つまりシェルパさんの弟さんもまた、シェルパ。
△チャムジちゃん。中学校の卒業記念とはいえ、その前年には標高6,000メートル級の登頂に成功済。さすがシェルパ一族。実は小さなころは、山に登るの大嫌いだったのだそうですw
「自然はいつでもある。人間の命はひとつしかないから、無理をしたら、人間が命を落としますね」
シェルパが無理をしないというのは、単なる体調管理ではなく、過酷な環境で生き抜いてきた深い深い洞察にもとづくものだったのでした。
そして実はシェルパさん、この登山のときが、これまでの人生でいちばん危なかったのだそう。
混雑を避けて早めに出たけれど、それでもやはり姪っ子は16歳。だいぶペースが落ちた。
シェルパも、彼女を助けたくて、いつもよりたくさん酸素を与えた。
帰り道、シェルパは、おかしなことに気づく。
見たことのない村が見える。いるはずのないひとがそこにいる。
ふと背負った酸素ボンベを見て、針がゼロを指している。それで、気づいた。
幻覚だ。酸欠で、いま私は、幻覚を見ている。
富士山の3,000メートルは散歩、6,000メートルはトレッキング、8,000メートルから登山。
そんなシェルパさんにも、8,000メートル以上は、「魔」だ。
シェルパは、駆け下りた。ここで止まったら、死んでしまう。山頂にはそうやって亡くなったひとの遺体が、たくさん転がっている。
やがて、8,000メートルまで降りてきたとわかって、一息ついた。
ここなら酸素ボンベなしでだいじょうぶと、経験で知っている(←すごいんだけど!)。
持っていたカロリーメイトを3袋、一気にお湯に溶かして飲んで、生き返った。
あのときは、危なかった……。
「ねえ、そんなに危ないのに、やっぱりエベレストに登りたいの?」
はい、そうですね。
シェルパ、うっとりした顔で答えます。
なので、今日いちばん聞きたかった質問。
「ねえ、エベレストの山頂からって、なにが見えるの?」
「うーんとね。そうですね……」
シェルパさん、しばらく考えました。
「世界が、広い」
そのとき、半分は、頭がぼうっとしているそうです。
生まれていちばん苦しい状況であることに、間違いない。
その、ぼうっとした頭で、エベレストの山頂に立って。
「ああ、世界が、広い」
そう感じるのだそうです。
これまで4回見た、世界のてっぺんからの光景。
末の娘が大きくなって家から送り出したら、また行きたい。
△行きはよいよい、帰りは下山。エベレストからの決死の下山のハラハラを、標高200メートルで堪能~
気がつくと、私たちはふもとまで降りていました。
穏やかに輝く須磨の海をバックに、与謝蕪村がここで詠んだという「春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな」の句碑が立っています。
△ひねもす寝たり、寝たり、したい……
「ひとは、苦しいことは忘れてしまいますね。楽しいことだけ覚えている。それで、また前に進むんですね」
3年前にエベレスト山頂で幻覚を見て死にかけたシェルパさんが、目の前で、ニコニコ笑って言います。
うん、ほんとだねー!
ほんと、振り返ると人生、楽しいことばっかりだ。
あとはぜんぶ、忘れちゃった。
あのさ、あのさ、きっとそうやって、楽しいことばっかりにできるのが、人間なんだよね!!
ワーイ!!
摂津の国の隅(すま)っこの須磨には、自然がいっぱいありました。
そして、自然とつきあうなかで、意味なく頑張りすぎたり、自分を責めたり、他人を責めたりすることをしない姿勢を身につけた、とてもきもちの良い大人がいっぱいいました。
なぜなら彼らは知っているからです。
「頑張る」とか「責任」とか、そういうのは、人間の身勝手な言い分だと。
圧倒的な自然の前で、そういうのは、まったく意味をなさないのだと。
自分の命のありかたで、自然に寄り添って、穏やかに微笑む彼らのあり方は、本当に、野の花を見ているような心地良さでした。
あのさー、なんかさー、光源氏もさー、「須磨は嵐がびゅーびゅーで怖いから、明石のまちに行っちゃおうぜ~」とか言わずに、ここでしばーらく自然と一緒に過ごしてみたら、あんなうじゃじゃけた人生は送らなかったのかもね。
ま、いっか!
それも彼という命の自然、咲き方だったのだろう♪
△「お山の、おやま」(C 慈憲一・naddist)ポーズで、決まり! 楽しく行こーぜー♪
めっちゃ楽しかった、須磨アドベンチャーツアーでした!
▽ シェルパさんのヒンディー語レポートと日本語訳です。
HELLO
私はネパール人のペムラクパシェルパです。
仕事はネパールの登山ガイドです。日本人のお客様をつれてネパールの登山トレッキングの案内をします。
私の生まれた村はネパールでもすごい田舎で標高3000mの所です。
17歳迄綺麗な自然の中に育ったので今でも自然と動物が大好きです。
11月に湯川さんと須磨の海釣り公園と近くの山に行きました。
私は神戸に13年間住んでいますが
須磨といえばBeach しか知らなかったです。
海釣り公園で私は生まれて初めての魚つりをしました。
とても楽しかったです。
海は泳ぐだけでなく、こんな風に釣りもできるという事を初めて知りました。
そのすぐ近くの山に行きました。
山から見た海の景色は素晴らしかったです。
すごく楽しい1日でした。
外国から神戸に来た人たちにも、この須磨のいい所を見せたいです。
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