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立杭で窯元さんを訪ねてきました!【丸八窯さん編】

ミズウラ

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

今回は丹波篠山の、立杭というところにやってきました!
この立杭、何が有名かといいますと「丹波立杭焼」が有名なんです!

立杭にはたくさんの窯元があり、ぜひ丹波篠山エリアにこの丹波立杭焼に関するフカボリ記事もかきたいと思い、丹波篠山に中高の同級生、先輩後輩が多くいらっしゃる、株式会社利助屋の代表取締役酒井さんに窯元さんをご紹介していただきました!

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

まずお伺いしたのは薪がたっくさん積まれた丸八窯さん。清水義久さんにお話をお伺いしました!

水浦  「すごい薪の数ですね!」
義久さん「これ今回の焼き入れに使うんですよ」
水浦  「全部ですか!?」
義久さん「いやーこれ全部でも足りませんねー」
水浦  「マジですか!」

なんと丸八窯さんは、5日5晩も窯に火を入れる珍しい窯元さんなんだそうです。
そりゃ5日も窯を入れるんだったらこれだけ薪が必要になりますね!

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

水浦  「なんで5日間も窯に火をいれるんですか?」
義久さん「どの状態でよしとするかにもよるんですが、窯に入れると最初に陶器に火が通るんですよ、そこで止めるのがのぼり窯。うちでは、薪が燃えて、灰をかぶって垂れるまで焼きを入れるんです。」

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

見た目がめっちゃ変わる!
普通なら釉薬を使って装飾や強度を増したり汚れにくくしたりするんですが、丸八窯さんは、灰をかぶることで釉薬の代わりになるみたいです。
触った感触もつるつるしてました!

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

そしてこの大きな窯、伺ってみるとなんと、
丸八窯さんが設計したとのこと。
中に部屋が三つ出来るように、そして焼き上がり具合が変わるように段差をつけたりと、いろいろ自分用にカスタマイズを加えているそうです。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

窯を見せていただいた後にお店にもお伺いしました!
いらっしゃったのは、義久さんのお母さん、久美子さん。
現在も陶芸を続けている久美子さん、陶芸家になったときは女性の陶芸家は少なく、久美子さんが最初の走りだったとのこと。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

お伺いしたときに見つけました!
ABCマラソンのメダル!
2017年3月5日(日)に開催される、第37回篠山ABCマラソン。
篠山城跡マラソンコース、42.195kmを走ります。
その完走者に送られるメダルなんですが、去年からは丹波立杭焼で作られているんです!

持たせていただきましたが、思ったよりも軽く、しっかりとした手触り。

納品はなんと今回ご紹介していただいている酒井さん!
酒井さん 「去年は初めての試みだったんで結構苦労したんですよ。今年は去年よりかは順調に進んでます。」
久美子さん「周りにある文字がつぶれたり大変だったねぇ」
作っていた久美子さんもおっしゃってました。

是非篠山ABCマラソンを完走してメダルをゲットしてくださいね!

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

久美子さんにはその後、目の前でろくろを回していただいちゃいました!
私の体感で3分もかからず一つ目のグラスが完成、どんどん作っていく久美子さん…

最後には二つのグラスと1つのお椀ができておりました。

色々見せていただきありがとうございました!
酒井さんと共に次の窯元さんへ向かいます。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

ところで途中でこんな話があったんです。

水浦   「立杭焼きって、ろくろの回転の向きが違うんですよね(事前にちょっと調べてきました)」
酒井さん 「えっ!」
久美子さん「私は京都で修業したんで右回しなんですよー」
酒井さん 「マジですか!」

立杭で修業した人は左回転が多いらしいです!
果たしてその意味とは?
次回に続きます!

次回の紹介は雅蜂窯さんです!

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丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷について

日本六古窯の一つ「丹波立杭焼」産地の中心にある丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷は、兵庫県の伝統的工芸品である「丹波立杭焼」の振興と篠山市観光の拠点施設として毎年十数万人のお客様をお迎えしています。「丹波焼」は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、その発祥は平安時代末期から鎌倉時代のはじめといわれています。桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、慶長16年(1611)ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。当初は、壺や甕(かめ)・すり鉢などが主製品でしたが、江戸時代前期小堀遠州等の指導により、茶入・水指・茶碗など茶器類に多くの名器を生み、後期には篠山藩の保護育成により、直作(なおさく)、一房(いちふさ)、花遊(かゆう)、一此(いちこの)等の名工が腕を競って、丹波焼の名を高めました。明治、大正、昭和と受け継がれた丹波焼は、太平洋戦争後の苦境を乗り越え、食器・花器等の民芸品を中心とした作品作りに精進しております。名称については、穴窯時代は小野原焼、登り窯時代になってからは、「丹波焼」又は「立杭焼」と呼ばれてきましたが、昭和53年(1978)「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品指定を受けております。]https://tanbayaki.com/about/process.html 続きを読む

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ミズウラ

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DIIIG編集部のPR担当ミズウラです!
DIIIGを通じていろんな方と一緒に地域の楽しさを満喫中!

個人でもフカボリ記事を書いてますのでよかったらよんでくださいね。
https://diiig.net/user/scarecrow
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