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陶芸してみた

migite

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

丹波焼の里。立杭
体験教室に行ってみました。
色々な窯元さんが陶芸の体験教室を開いています。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

轆轤
まずはコップの作り方を教えてもらいそこからは自由に。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

升をつくってみました。
かなり大きくなってしまってます(汗
焼くと2割ほど縮むらしいですが。
焼きあがるまで一ヶ月〜二ヶ月ぐらいです。完成が楽しみです。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

プロが作っている姿も見られました。

丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷

美しい。
プロの技です。

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丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷について

日本六古窯の一つ「丹波立杭焼」産地の中心にある丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷は、兵庫県の伝統的工芸品である「丹波立杭焼」の振興と篠山市観光の拠点施設として毎年十数万人のお客様をお迎えしています。「丹波焼」は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、その発祥は平安時代末期から鎌倉時代のはじめといわれています。桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、慶長16年(1611)ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。当初は、壺や甕(かめ)・すり鉢などが主製品でしたが、江戸時代前期小堀遠州等の指導により、茶入・水指・茶碗など茶器類に多くの名器を生み、後期には篠山藩の保護育成により、直作(なおさく)、一房(いちふさ)、花遊(かゆう)、一此(いちこの)等の名工が腕を競って、丹波焼の名を高めました。明治、大正、昭和と受け継がれた丹波焼は、太平洋戦争後の苦境を乗り越え、食器・花器等の民芸品を中心とした作品作りに精進しております。名称については、穴窯時代は小野原焼、登り窯時代になってからは、「丹波焼」又は「立杭焼」と呼ばれてきましたが、昭和53年(1978)「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品指定を受けております。]https://tanbayaki.com/about/process.html 続きを読む

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