昔と今を感じよう!セミナリヨ跡
安土駅から徒歩20分ほどの場所にあるセミナリヨ跡へ行ってきました。
現在は、公園として整備されています。
駐車場もあり、誰でも自由に出入りすることができます。
もともとは、イタリア人宣教師オルガンチーノ神父が、織田信長より教会建設用地としてもらった土地に、高山右近ら信者たちの援助を受けて建てた3階建ての住院。
この建物に、日本最初のカトリック小神学校として、1581年(天正9年)にセミナリヨを開校したものの、本能寺の変の後、安土城とともにセミナリヨも跡形もなく焼失し、今はなにも残っていません。
信長がセミナリヨに滞在していたイエズス会の巡察師ヴァリニャーノ神父に「安土城之図」の屏風絵を進呈し、当時のローマ法王にこれを献上した話や、宣教師教育や西洋文化を身につけるためにセミナリヨの生徒だった13歳の少年4人をローマへ連れていったという天正少年使節団にもつながる歴史的な場所。
入り口の石碑がなければ、かつてそのような場所だったということはわかりません。
公園の横にはお堀があり、周辺に続く石垣を見ていると、大きな石の間に小さな石を挟み込む石垣づくり。安土城跡周辺の石垣によく似ています。
お城の堀を思わせるような、かなり立派な石垣。
安土城のあった安土山の周辺のほとんどが、昔、琵琶湖だったこともあり、現在も安土町には水路があちこちに残っています。
商業や文化の発展にも相当貢献したことでしょう。
現在は水鳥が泳ぐ穏やかな水辺の風景。しばし心を奪われます。
公園を入るとすぐの場所にある石碑。
セミナリヨの当時の生活がわかるものが書かれています。
日課は午前4時30分起床。早っ!!
授業科目は、ラテン語、日本語、声楽・楽器、ローマ字など
20時には就寝。夏休みや文化祭もあったそうです。
学校などなかった時代。現在に置き換えてみても、かなり規則正しく充実した学校生活です。
食事は日本食。白米、汁、魚。この時代、白米って贅沢品じゃなかったのかな。
日曜祝日には一品追加でデザート付き!!やっぱりゴージャス。
セミナリヨの由来と書かれた石碑を見てみます。
1階には茶室のついた座敷
2階には神父の居室
3階は教室と生徒の寮
諸国から集まった20数名の少年たちが寄宿しながら宣教師の勉強をしたようです。
信長がセミナリヨの屋根に安土城と同じ水色の瓦を使ってもよいと特別に許可をしたという話や、信長が生徒たちの弾くオルガンをよく聞きに来ていたという話も書かれてあり、信長がセミナリヨをとても大事な場所として庇護していたことがわかります。
もう何もないこの場所なのに、やっぱりそういう歴史があったということを伝え知るだけでも、大事なことなんだと思いました。
なんて思いながらふと見ると・・・ベンチイスが川の流れのように曲線を描いてずっと向こうまで1本続いています。
公園内にあるいくつかの桜の木の枝の影が地面に作り出す模様。かなりおもしろい。
光の加減でたまたま写真に写ったものだけど、自然の作り出すものってほんと絵になる。
このベンチ、大人なら、たくさんの人が一度に座れるからいいねと考えるのかな。
もし私が子どものときにこれを見たら、このベンチの両端からスタートして歩いて、ぶつかったらじゃんけんをして、早く相手側についたチームが勝ちという、あの遊びを全速力でやっただろうなぁと想像しました。それくらい、楽しくて曲線のある長いベンチ。
この場所もいろいろ楽しめそうな気配。
個人的には藤棚のなんとも甘い香りが好きなので、藤棚にしてくれたらいいのになと思います。へちまやゴーヤでもいいなぁ。
セミナリヨ跡は最近新たに整備し直されたばかり。ネットで以前に見たセミナリヨ跡とはかなり違うイメージになっているので、一度訪れた人もいろんな妄想しつつ、新たに楽しんで見て下さい。
このセミナリヨ跡から安土城跡までの道は、信長もよく歩いた「下街道」と呼ばれる道。
お天気の良い日には、てくてく歩いてみるのもおすすめ。おもしろい発見があるかも?!
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