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池田町洋風住宅街をぶらりと歩く

ぶるぐんだぁ

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

池田町洋風住宅街へ行ってきました。
近江八幡市池田町にある大正時代にウィリアム・メレル・ヴォーリズが建築したアメリカ式住宅のモデルハウスが並ぶエリア。
ここはすべてアメリカの伝統的な建築様式のコロニアルスタイルという手法で建てられてた住宅です。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

現在実際に居住されている所もあり、ご迷惑をかけないように、外観のみ見学させてもらいます。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

池田町通りに続く赤レンガの塀。よく見ると焼損じの脹れたレンガと短いレンガが交互に使われていることがわかります。
ヴォーリズが不良品のレンガを建築材料として塀などに再利用したもの。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

比べてみると、こんなに違います。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

北側から順番に見ていきます。
まずは、旧近江ミッション・ダブルハウス(築)1921年。2世帯の住宅です。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

2個の住宅が、レンガの壁を挟んで対象的な間取りとなっていて、建築当時はヴォーリズの両親と建築事務所の技師が入居していたそうです。
このあたりで部屋も仕切られているのでしょうか。外側に仕切りがあります。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

こちらは東側にある通りの玄関ポーチ。大きな煙突が対称にあります。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

でこぼこした壁と薄いブルーの建具がかわいらしい。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

もう一方のお宅。塀が高くほとんど中は見えませんが、こちら側にだけ、瓦屋根のある平屋の和風建物が見られます。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

1階にバルコニーがあって、庭もきっと広々としているんでしょう。(想像ですが・・・)

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

ちょっと気になったのがここの部分。開閉式の小さな扉があります。猫が出入りするため?大雨がふったときに配水するため?換気用の穴か?などと思いつつ先へ進みます。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

次は、旧ウォーターハウス邸(築)1913年。
ウォーターハウスは早稲田大学の講師として来日。一旦帰国したのち再び夫婦で日本に戻り、ヴォーリズとともに「近江ミッション」の布教活動を行った人物。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

入り口にはポストがあります。2016年4月から特別公開されるそうです。ぜひこの機会に見学しておきたい場所です。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

3階建て住宅で、中央に大きな煙突がそびえたっています。中は11室、暖炉が5か所あり、煙突が2か所あるそうです。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

かなり奥まで続く道。庭はどうなっているのでしょうか。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

ここの塀はずっとお隣まで続きます。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

ほとんど仕切りもなく、そのままつながっているように見えるお隣へ。
ここが旧吉田悦蔵邸(築)1913年。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

八幡商業学校時代の教え子で、ヴォーリズとともに「近江ミッション」を支えた人物。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

入口から玄関までの距離がものすごく遠く、庭にたくさん木が生えているのもあり、残念ながら住宅はほとんど見えませんでした。

実は、ここ、私が6歳のとき(40年ほど前)に2歳上の姉と一緒に通ったことのある英語教室。小さかったため当時のことをあまり覚えていないのですが、姉に聞いてまとめた記憶を書いてみます。

庭の自転車置き場の隣に木登りができるほどの大きな木があり、姉は何回か勝手に登ったことがあったそうです。小学生の私たち姉妹には吉田さんのお宅は本当に憧れの邸宅でした。

英語を教えてくれていたのは、吉田希男(まれお)先生という年配の男性でした。当時はこの家に住んでいたと思います。(悦蔵さんとどういう関係だったのかはわかりません。)

玄関を入って左側に英語教室の部屋。
右側には階段があり、中二階にユニットバスがあり、猫足のバスタブと洋式トイレがありました。同じ部屋なのにお風呂もトイレもあって子どもながらに落ち着かなかったように思います。私が人生で初めて洋式トイレを使ったのはここでした。使い方がわからずに苦労した記憶が鮮明に残っています。
2階はプライベートスペース、3階もあったようですが、入ったことはありません。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

英語教室の部屋の隣は応接間。応接間には暖炉があり、ふかふかの絨毯に座って英語教室の生徒たちが集まってクリスマス会のプレゼント交換をしました。
天井の大きなシャンデリアは、ボリューム式の微妙な調光ができるタイプ。面白くて何度も触っていた子がいました。

姉の記憶では廊下を挟んでキッチン。キッチンは黄色い壁かタイルで、超近代的な大きいオーブンが置いてあったそうです。
その奥の廊下を進むと離れに茶室付きの和室がありました。お茶をたてるための囲炉裏があったような気がします。

現在はどんな風になっているのか、もし公開される機会があれば、ぜひ見てみたいです。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

そして、塀はまだまだ続きます。
洋館はここまでで、その隣にある建物は瓦屋根の純和風な建物。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

旧石橋邸・近江八幡家政塾(築)1936年。
他の邸宅と比べると全然違うので、これはそうなのか?と思うところですが、円形の窓がヴォーリズっぽい気もします。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

吉田悦蔵の妻、清野が1935年(昭和8年)に、自宅で「近江八幡家政塾」を発足させ、1936年(昭和11年)に自宅の隣で婦人教育のために使ったとのこと。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

またまた、ここにも開閉扉を発見!
なんなんだろ・・・これ。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

裏口でしょうか?お風呂かトイレなど水回りがあったような感じです。狭い扉があります。人間ひとり分くらいがぎりぎり通れる幅です。

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)

以上の4軒が並ぶ池田町洋風住宅街。ヴォーリズは1912年に池田町に土地約千坪を入手し、これらの建物を建築したそうです。
100年以上経った現在も、これらの建物に魅力を感じる人が今もなお訪れています。

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池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築住宅群)について

近江八幡市池田町にある大正時代にウィリアム・メレル・ヴォーリズが建築したアメリカ式住宅のモデルハウスが並ぶエリア。4軒が並ぶ池田町洋風住宅街で、ここはすべてアメリカの伝統的な建築様式のコロニアルスタイルという手法で建てられた住宅です。現在実際に居住されている所もあり、外観を歩きながら見て楽しめます。「旧近江ミッション・ダブルハウス」(築)1921年2個の住宅がレンガの壁を挟んで対象的な間取りとなっていて、建築当時はヴォーリズの両親と建築事務所の技師が入居していたそうです。「旧ウォーターハウス邸(築)」1913年ウォーターハウスは早稲田大学の講師として来日。一旦帰国したのち再び夫婦で日本に戻り、ヴォーリズとともに「近江ミッション」の布教活動を行った人物。※2016年4月から特別公開予定「旧吉田悦蔵邸」(築)1913年八幡商業学校時代の教え子で、ヴォーリズとともに「近江ミッション」を支えた人物。「旧石橋邸・近江八幡家政塾」(築)1936年吉田悦蔵の妻、清野が1935年(昭和8年)に、自宅で「近江八幡家政塾」を発足させ、1936年(昭和11年)に自宅の隣で婦人教育のために使ったとのこと。 続きを読む

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ぶるぐんだぁ

40代女子。滋賀県内あちこち在住経験あり。信じるものは自分だけ。
だから、なんでも見たい知りたいやってみたい。
最近、瓦に興味を持ち始める。
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