彫刻家で「Love Stone Project」主宰の冨長敦也が世界中で感じたお話 vol.06「神戸市・長田区編」
彫刻家の冨長敦也です。今日は神戸市・長田区のお話しをします。
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ぼくらにとっては、決して忘れられない数字。
1995年1月17日5時46分52秒に発生した、震度7、マグニチュード7.2の大地震は、6000人を超す命を奪いました。
「履き倒れの街」を象徴するケミカルシューズ産業が盛んであった長田の街にも激震が襲い、木造住宅が密集していた地域を中心に火災が広がり、甚大な被害が発生しました。
こんな大災害が神戸の街に起きるなんて誰が想像できたでしょうか?
その後、復興がなされ、再興のシンボルとして、2009年には「鉄人28号」の巨大像も新長田駅南側に誕生しました。
昨年の1月17日は、阪神淡路大震災20年目という大きな節目の年でした。
そのことを心に刻み、そして忘れないために「震災20年 新長田アートプロジェクト」が開催され、兵庫県下の、美術館や美術団体が、それぞれアーティストを推薦し、長田の商店街を舞台にアートの活動が展開されました。
ぼくは、あさご芸術の森美術館で、2013年の夏に1トンの石のハートを磨いたことから、このアートプロジェクトに推薦を受け参加しました。
それぞれのアーティストが思い思いの発表をする中で、ぼくは、それぞれの20年の歳月について、それぞれ形も色も違う20個のハートを長田のみなさんと磨くことで震災を考えたい、そんな思いで、プロジェクトを実施しました。[写真の右下のハートは、今は採石していない神戸・御影産の御影石です]
大きな被害を受けた大正筋商店街に、20個の石のハートを並べ、地震発生時刻の5時46分から、追悼の式典に来られた人や、陽が登りいつも通りの商店街に買い物に来られた人たちと一日中、ハートを磨きました。
磨く前は真冬のしかも、日の出前の厳しい寒さの時間に、冷たい水を使い磨く人がいるのかどうかが心配でしたが、いざ、始めてみると、わざわざ着けていた手袋をはずし、手を濡らしながらハートを磨いて、「そういえば、こんな寒い朝やったわ」
と、その日の事を思い出すおばあちゃんや、
「目の前のおかあちゃんを助けられへんかったんや。ごめんやで。」
と小声でつぶやきながら、涙を堪えることができない、おじさんもおられました。
そして多くの方から「この日にハートを磨けてうれしいわ、ありがとう。がんばってや。」という激励までいただき、熱いものがこみ上げてきました。
明るくなったころに、近くの小学校の兄弟が自転車で一目散にやってきて、おもむろに石を磨きだすと、その紙やすりと石がこすれる「シュッ、シュッ」「シュッ、シュッ」という音に合わせて体でリズムをとり、なんと踊りだしたのです。
体を傾け、ガムテープでヘッドホーンを耳にあてるしぐさは、まさしく、DJ !
ぼくは、まるで石と踊りながら交信する彼らに、20年前の地震の事を聞いてみました。
「今日はなんの日か知ってるん?」
すると、なんと、生まれる前の震災のことを驚くほどよく知っているんです。
「学校の授業で、教えてもらったから」
彼らは小学校で自分たちの街が経験した震災のことを詳しく学んでいたんです。
正直を言うと、ぼくは、夜明け前の商店街で石を磨きながら、20年の時がこの災害を風化してしまわないかと、心配になっていました。
でも、若き「石のDJ兄弟」の笑顔と言葉でほっとしました。
そして、明日が21年目の1月17日です。
ぼくは、願います。
彼らが大人になり、震災30年・40年・50年になっても、20年目の1.17に20このハートを磨いた事を忘れないでいて欲しいと。
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冨長 敦也 / Atsuya Tominaga
彫刻家 / Sculptor
世界各地の人と、ハートの石を磨くプロジェクト「Love Stone Project」主宰
1961 大阪市生まれ
1986 金沢美術工芸大学大学院 美術工芸研究科 絵画彫刻専攻修了
1988 大阪中之島緑道彫刻公募にて受賞(大阪府)
1990 第3回三田彫刻コンペティションにて特別賞受賞(兵庫県)
1997 (財)ポーラ美術振興財団在外研修助成を受けイタリアにて滞在・制作
1998 神戸学院大学創立30周年記念モニュメントコンクールにて一位指名(兵庫県)
2013 LongHouse Reserve(NY)に作品がコレクション
Love Stone Projectを開始
第25回UBEビエンナーレ[現代日本彫刻展]にて大賞受賞(宇部市)
2014 「冨長敦也のハートボイルド展 世界をつなぐ未来の彫刻」(ときわミュージアム 宇部市)
NY・パリ・イタリア・東京・大阪等 国内外で個展開催
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