八上城
と周辺のフカボリ八上城
八上城は丹波富士とも呼ばれる高城山に築かれた山城で、波多野秀治の居城として知られています。織田信長の丹波攻めが開始されると、丹波攻略の司令官だった明智光秀に攻められ落城しています。なお、八上城には光秀が「本能寺の変」を起こした理由のひとつとして挙げられている「和議の際に人質として差し出した自分の母を殺された」という逸話もあります(ただし創作の可能性が高いとされています)。明智氏の滅亡後は羽柴秀勝や前田玄以の属城となり、江戸時代には徳川家康の実子である松平康重が入城しますが、天下普請によって篠山城が築かれたため、八上城は廃城となりました。
提供元:(C)攻城団
よみがな:やがみじょう
曲輪構成:連郭式
縄張形態:山城
標高(比高):460.000m(240.000)
築城主:波多野元清
築城開始年、完了年:1508年(永正5年)
廃城年:1609年(慶長14年)
主な改修者:前田茂勝
主な城主:波多野氏、前田茂勝
遺構:曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財:国史跡
<電車でのアクセス>
登山道は春日神社口→右衛門コース→山頂本丸まで徒歩約50分
<車でのアクセス>
- 舞鶴若狭自動車道・丹南篠山口IC→県道306号線→国道372号
エリア |
兵庫県篠山市
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住所 |
兵庫県篠山市八上上字高城山
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URL | |
俗称 |
八上高城
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作者 |
波多野元清
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