会津若松城
と周辺のフカボリ会津若松城
会津若松城は蒲生氏郷や上杉景勝など著名な大名が城主を務めた城です。1643年(寛永20年)に保科正之が入封して以降は明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城として用いられ、幕末の戊辰戦争の際には会津戦争の舞台となりました。城址内には会津藩士である西郷頼母、秋月悌次郎らの石碑や銅像があります。現在の天守は1965年(昭和40年)に外観復元されたものですが、さらに2011年(平成23年)に黒瓦を当時と同じ赤瓦に復元しました。また、天守にあるシャチホコは瞳には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。なお地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:あいづわかまつじょう
曲輪構成:梯郭式
縄張形態:平山城
天守縄張、天守形式:層塔型
天守の階数:5重5階
天守の種類:復元(外観復元)
天守の高さ:25.150m
天守台石垣の高さ:11.000m
天守の広さ(延床面積):0.000平方メートル
天守メモ:
1593年(文禄2年)に蒲生氏郷によって築かれた天守は望楼型5重7階だったとされるが、1611年(慶長16年)に起こった大地震により大破した。その後、その倒壊材を用いて1639年(寛永16年)に加藤明成によって修築された天守は複合式層塔型5重7階(地上5階、地下2階)だったとされる(高さ29m、天守台石垣10.9m)。この天守は明治初年まで存在したが、1874年(明治7年)に取り壊された。現在の天守は1965年(昭和40年)に復元されたものである。当初は黒瓦での復元だったが、2011年(平成23年)3月に赤瓦に復元された。
築城主:蘆名直盛
築城開始年、完了年:1384年(至徳元年)
廃城年:1874年(明治7年)
主な改修者:蒲生氏郷、加藤明成
主な城主:蘆名氏、伊達氏、蒲生氏(92万石)、上杉氏(120万石)、加藤氏(40万石)、松平氏(23万石)、保科氏(23万石)
遺構:石垣、土塁、堀
指定文化財:国史跡
復元状況:天守、門、櫓、長屋
<会津若松城の見学情報・施設案内(更新日:2014-04-08)>
営業時間:
- 開城時間:8:30
- 閉城時間:17:00
- 最終入城時間:16:30
料金(入城料・見学料):
- 大人(高校生以上):400円
- 小中学生:150円
- 団体割引あり(30人以上)
- 茶室との共通券あり
- 茶室・御薬園との3施設共通券あり
休み(休城日・休館日):
年中無休
<駐車場について>
有料(西出丸駐車場:200台、三の丸駐車場:38台、南口駐車場:35台)
<電車でのアクセス>
- JR磐越西線・会津若松駅より路線バスに乗り継いで「鶴ヶ城北口」下車
- まちなか周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」に乗車、鶴ヶ城下車、徒歩5分
- 高速バス(仙台・福島・郡山・いわき・新潟・野沢の各線)の起終点「鶴ヶ城・合同庁舎前」で下車
<車でのアクセス>
- 磐越自動車道・会津若松IC
<駐車場について>
有料(西出丸駐車場:200台、三の丸駐車場:38台、南口駐車場:35台)
エリア |
福島県会津若松市
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住所 |
福島県会津若松市追手町1-1
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URL | |
俗称 |
鶴ヶ城
若松城
黒川城
会津城
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作者 |
蘆名直盛
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営業時間 |
08:30〜17:00
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