須磨の石碑を巡ってお散歩しましょ♪♪
源平の戦いの中でも、特に有能な武将を失ったとされる一の谷の戦い。
16歳の若さで源氏の武将の熊谷直実に討たれた敦盛は、源平の戦いでの悲劇のヒーロー的な扱いですよね♪
須磨浦公園駅西南徒歩2分国道2号線沿いにある敦盛塚は須磨寺(福祥寺)の「首塚」に対しこちらは「胴塚」とよばれています。
北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。
△蕪村歌碑
須磨浦公園の山側の入口の坂道を道なりに登っていくと
「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」
与謝蕪村(1716~1783年)が、須磨の浦で詠んだものと云われていわれる歌碑があります。
ゆっくり春の海を眺めたくなりますね。
△芭蕉句碑
須磨浦公園の山側にありますよ
「蝸牛(かたつむり)角ふりわけよ須磨明石 」
元禄年間に須磨を訪ね、古くからの摂津と播磨の国境であった堺(境)川のほとりで作った句と云われています。
カタツムリよ、角の1本で須磨を、他の1本で明石を指してくれ、という意味だそうで、それにしても、狭い場所にいるカタツムリにとって、芭蕉の問いかけは難題ですね〜
ココらへんで程よく汗を書くかもです。
2号線を東にてくてく歩きまた〜。
△綱敷天満宮にある、5歳の菅原道真公の像
『美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある』と歌い、11歳(斉衡2年/855年)には、初めて漢詩を詠み、神童と称されたそうです。
△智慧の道
天神さん(綱敷天満宮)は、学問の神様の菅原道真、須磨寺は“いろは”を考案した弘法大師という「智慧」を持つ方をおまつりする社寺を結ぶことから名づけられ、
綱敷天満宮から須磨寺前商店街を通り、須磨寺までを結ぶ道なんだそうです。
この石碑は、綱敷天満宮の赤い鳥居の前にあり、道しるべのようにありますよ。
智慧の道の石碑の先端が示す方向に歩いて。、、、須磨寺を目指します。
△平敦盛像 須磨寺(福祥寺)境内
胴敷地内には首塚があります。
桜の季節には「敦盛桜」と名付けられ、
須磨周辺の桜の名所ではライトアップして盛り上げていますよ。
愛されていますよね!
△蕪村句碑 須磨寺(福祥寺)
笛の音に 波もよりくる
須磨の秋
笛の名手といわれた平敦盛が持っていたとされる「青葉の笛」が今も須磨寺に保管されている。
それにちなんで詠んだ句といます。
△「須磨紀行」 句碑 良寛
すまでらの むかしを 問えば 山桜
よしやねむ すまのうらわの なみまくら
諸国行脚した良寛が須磨に立ち寄った時の句だそうで、須磨寺入口付近んにあります。
須磨の街の中には他にも沢山の石碑があり、それぞれ趣がありますよ♪
みなさんも、須磨の石碑を巡って
程よい汗をかいてみませんか?
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