須磨浦公園から海岸沿いを歩いて訪ねる敦盛塚で教科書よりも詳しい歴史を知る 神戸の歴史では外せない源平合戦「一ノ谷の戦い」。 源平合戦(治承・寿永の乱)は、平安時代末期に起こった国内の大規模な内乱です。 平 敦盛(たいら の あつもり)は、平清盛の甥(平清盛の弟である平経盛の末子)です。 源義経や平清盛ほどは、歴史の教科書に出てこないかもしれませんが、笛の名手の優しい少年あった事や、16歳という若さで熊谷直実に討たれた事などから、悲劇の人物として能や文楽、唱歌の題材としても親しまれています。 熊谷直実には同じくらいの息子・直家がいたため、躊躇し、助けようともしたが止むに止まれず涙ながらに敦盛の首を切ったという事からも、後の出家へのきっかけになったという説もあります。 須磨寺には「敦盛塚(首塚)」と言われる場所があり、こちらの「敦盛塚(胴塚)」と呼ばれています。
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