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歴史にふれる!源平合戦に登場する平敦盛の胴塚へ

須磨浦公園から海岸沿いを歩いて訪ねる敦盛塚で教科書よりも詳しい歴史を知る 神戸の歴史では外せない源平合戦「一ノ谷の戦い」。 源平合戦(治承・寿永の乱)は、平安時代末期に起こった国内の大規模な内乱です。 平 敦盛(たいら の あつもり)は、平清盛の甥(平清盛の弟である平経盛の末子)です。 源義経や平清盛ほどは、歴史の教科書に出てこないかもしれませんが、笛の名手の優しい少年あった事や、16歳という若さで熊谷直実に討たれた事などから、悲劇の人物として能や文楽、唱歌の題材としても親しまれています。 熊谷直実には同じくらいの息子・直家がいたため、躊躇し、助けようともしたが止むに止まれず涙ながらに敦盛の首を切ったという事からも、後の出家へのきっかけになったという説もあります。 須磨寺には「敦盛塚(首塚)」と言われる場所があり、こちらの「敦盛塚(胴塚)」と呼ばれています。

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敦盛塚(胴塚)について

国道2号沿いの須磨浦公園の西にある史跡。市指定有形文化財。「一の谷の戦い」で源氏の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた若武者・平敦盛(あつもり)の供養のため建てられたといわれている大きな五輪塔。高さ約4メートルの石塔で、室町時代のものではないかと考えられています。また、北条貞時(ほうじょうさだとき)が平家一門を供養するために1286(弘安9)年建立、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。敦盛は、一の谷の合戦で源氏の武将の熊谷直実に討たれ16歳で命を落としました。大正時代には、子供の病気の神様として信仰されました。お礼参りには、穴をあけた竹に白紙を巻き、水引きをかけたものを、敦盛愛用の「青葉の笛」に見立てて奉納したといわれています。
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