「エイリアン・トリップ vol.08」 公認DIGGER 湯川カナと、中国出身の観光ガイド・シェさんによる垂水区レポート・後編です!
【[%http://diiig.net/lw/124482/%]/舞子公園】
△ 日だまりのスズメのようにおじいさまたちが。
地上に降りて、明るい公園を、素敵な洋館の方へ。
行く途中、日当たりの良い階段に、たくさんのおじいさまたちが並んでいました。
不思議そうに見ていたシェさんが、「わかりました!」と言いました。
「おじいさんたちが将棋をしているあいだに、おばあさんたちは、さっきのホテルでランチをしているのかもしれません!」
そうかもー!!
そして、旧武藤山治邸へ。
……って、誰ですか? プロレスラー??
「カネボウの中興の祖として有名ですね」
△ カネボウのひとなのだそうです。
教えてくださったのは、とてもあたたかみのある笑顔が素敵な米津館長。
△ 本来は和館だった新築部分、めっちゃモダンで素敵。米津館長も素敵。
もともと大手ハウスメーカー勤務、デザインMBAももつ一級建築士さん。
さらに、震災後に兵庫県ではじまった、地域の歴史的建造物を守る「ヘリテージマネージャー」資格も取得。
いまは六甲山上に暮らしながら、あのヴォーリズ建築「六甲山荘」の保存にもかかわっているとのこと。
その知識と経験をかわれて、この旧武藤山治邸館長に就任されています。
しかも、めっちゃ親切で、めっちゃ熱い。
建築のことは、なんでも米津さんに聞いてみてね!
△ 「サロン」と呼ぶのにふさわしい応接室。山陽国の民度の高さをひしひしと感じます。
もともと舞子海岸にあったこの洋館、国道2号線拡張工事のためどこかに移されていたのを、さらに公園内に移築。
もともとは洋館と和館がセットで、洋館はゲストハウスで社交の場、和館がお手伝いさんたちもいる生活の場、だったそう。
110年前につくられた洋館には、当時の家具などもそのまま保存されています。
屋内をウロウロするうち、湯川は気づきました。
椅子の座面が、地面から低い。んでもって広い。
当時の鹿鳴館みたいに、慣れないドレスを着て踊ったりしたあと、あるいは外国人への応接で素敵な着物をお召しになったときに、ちょこんと腰かけるのに、日本人にちょうど良い高さ。
北欧IKEAの椅子の高さだと、着物のお尻のところがうっかり引っ張られて、すぐに着崩れてしまうのです。
米津さんによると、家具は、もともと外国から直輸入で入ってきたものを、明治の家具職人さんたちが日本のくらしにあわせてリメイクしたものだそう。
おお、職人さん、グッジョブ!!
ステンドグラスの階段をあがった2階には、頭の良さそうな書斎があります。
その先の暖炉があるリビングを抜けると……。わっ、海!!!
丸く優しい弧を描く木製のバルコニーの先は、輝く海、海、海。
振り返ると、燈籠なんかがある芝生のお庭。
ここで結婚式や音楽会も行われるというのも、うなずけます。
優雅だなあ、山陽国。
△ 木造建築を海の傍で維持するあたりも、明治時代のお金持ちの財力と気力の見せ所だったそうです。それにしても、きもちいー!
それにしても、なんだろう、このかんじ。
嫌味じゃない木造洋風建築、可愛らしい円形のバルコニー、しっかりつくられた家具……。
あ! あれだ!!
「シルバニアファミリー」のおうち。
△ 旧武藤山治邸は、リアル・シルバニアファミリーのおうち。(だれがネズミ顔やねん!)
ぜひ、立ち寄ってみてね!
【孫文記念館(移情閣)】
「孫文といっても、ほとんどわからないです。中国では『孫中山』といいます」
シェさんが教えてくれました。
△ 入口、ってフォントが、いきなり明朝体!?
△ 孫文記念館。入るとすぐにスリッパに履き替えます。穴あき靴下注意!
ところでシェさんは、中国の、北京近くの方の出身でしょ?
つまり、ざっくり中国を南北にわけると、「北」の方。
そして孫文は、巨大なお墓が南京の近くにあったり、いま台湾の紙幣の肖像として用いられていたりと、「南」の方でとくに人気があるひとなのだそうです。
広大な中国。
「北」と「南」の大きな差は、いくつかあります。
たとえば、と、シェさんが教えてくれました。
「まちにはたくさん中華料理のお店がありますが、私の故郷の味とは、ぜんぜん違う」
神戸に多いのは、華僑として世界中に出て行った広州地方の広東料理、あるいはやはり海上貿易の拠点として栄える上海地方の料理だそう。
そのあたりの料理は、北の内陸のシェさんからすると、ちょっと甘すぎるのだとか。
たとえば、シェさんのおふくろの味は、「牛肉100%の餃子」。
その味に近い料理を出すところは、「中華料理」ではなく、「中国料理」という看板を出していることが多いのだそうです。
北と南では、言葉も違います。
いま標準語となっている北の北京語と、南の広東語は、発音も通じないほど。
たとえば「こんにちは」は、北京語で「ニーハオ」、広東語で「レイホウ」。
たとえば「ありがとう」は、北京語で「シエシエ」、広東語で「ドージェー」。
なので、シェさん、お嬢さんの入学を考えて神戸中華同文学校を見てみたのだけど、発音がまったく違うのでやめたとのことでした。
そして、日本と交流が深いのは、海でつながる「南」の方だったりします。
孫文も、中国本土を袁世凱に追われたあと、台湾経由で、日本に亡命。
そのとき孫文を匿ったひとりといわれるのが、神戸の華僑の大物・呉錦堂でした。
彼の別荘だった建物が、この孫文記念館です。
一階の入口には、孫文にゆかったり、ちょっとこじつけたらゆかりそうな品物が、展示してあります。
そして建物自体が、国の重要文化財。
当時としては斬新な、木造コンクリート建築。
全国の壁紙フェチがこれを見たさに押し寄せるという、めちゃめちゃ高価な「金唐革紙」。
中国で縁起がよいといわれる「八」にちなんだかと言われる八角堂も、不思議で素敵です。
△ 金色に輝く高級壁紙。型をつくって金箔でキランキランです
不思議といえば、この八角堂、外から見ると「三面」しか見えないのだそうです。
「ほら、みてみ、この建物な、三面あるやろ? 裏もみっつあって、全部で六面や」
ということで、なんと地元の舞子では、「六角堂」と言われているんだって!
あとで、外に出たら確認してみよう~。
△ たしかに三面しか見えない……。これが八角堂とは!
△ 橋の向こうに落ちる夕陽は絶景だそうです。見たい!
だけど、閉館後になるんです。
そんな、嬉しいような残念なような説明を聞いたあとに、窓ガラス越しに輝く山陽国の海を眺めながら、シェさんに訊きました。
あのさ、日本って、中国で嫌われてない?
だって、けっこうひどいことしてんじゃん、戦争の時。
シェさんは、ううん、全然、と言います。
「あれは軍人ですね。ふつうの日本人はいいひとでしょ?」
ツアーガイドもしているシェさんは、とにかく旅が好き。
日本に来てからもよく、リュックひとつの貧乏旅行で、観光地ではないところを訪れてきました。
住宅地にぽつんとある食べ物屋さんや、駅前の立ち食いのお店。
観光客があまり行かないところに行って、食べながら喋って。
「みんな優しくしてくれますよ。みんないいひと。庶民はみんないいひとです」
メディアは、一方的な情報しか流さない。
政治家がどう言ったかはメディアが流す、でも、庶民がどう言っているのかはわからない。
だからシェさんは、現地へ行くのだといいます。
その土地に行かないと、その土地のこと、本当にそこに住んで暮らしているひとたちのことは、わからないから。
ほんとだね。
旅をするというのは、そこに住むひとに会うことだと、私もエイリアン・トリップをしていて、つくづく思いました。
神戸市という狭い場所、たとえば中国という広大な国からすると「誤差」くらいの小さな土地の9つの区をまわっているだけなのに、その都度、そこに会うひとたちに、心動かされちゃう。
一緒にまわっている、世界中のいろんな国からやってきた旅人たちとの交流に、心が震えちゃう。
間違いなく、その土地のこと、その国のことに、なんだか温かい思いが紐付く。
もし戦争とかしろって言われたら、もう私は、「ヤーだよ、だってあのひとの国だもん!」と言うな、うん。
中国にも、「シェさんの国」っていう、嬉しい思いがくっついたよ!
△ 実はこのポーズも「中国からの観光客あるある」。銅像に触れつつ写真撮影、なのです!
というわけで、「嫌われてるんじゃないかしら?」と内心ドキドキしていた中国出身のシェさんとまわる山陽国の旅は、終わりました。
遺跡から世界一の橋から文化財まで、山陽国は、なんだかどこも豊かでした。
そっか、ここは古代から現在まで、海の向こうの淡路とつながり、さらには遙か台湾・中国までつながる土地。
だから、「神戸感」がなかったのかもしれないなあ。
△ 異界への扉はこちらです
神戸の日常から、淡路あるいは台湾さらには古代など異界にいざなってくれるリゾート地・山陽国(別名・垂水区)に、ぜひどぞ~! 三宮から20分ほどです。
△ ジャンプ!
再访垂水
时间:2015年10月29日
天气:晴
同行者:汤川san 秋国宽 我
访问地:无色古坟,明石海峡大桥,孙文纪念馆
一个秋高气爽的日子,我有幸参加了一个名叫【垂水再发现】的活动。说实话,来日本很多年了,垂水也去过很多次,但是每次都是去固定的地方,所以,并不是很了解。这次,我们首先参观了无色塚古坟这个国家级历史遗迹。五色塚古坟也被称为千壶古坟,是4世纪末期建造的兵库县最大的前方后圆形的古坟。虽然知道的人并不是很多,但是的确是一处相当有研究价值的古坟。站在古坟的顶端,说话能够感觉到有回音。这也许就是传说中的能量聚集的场所吧。
接着,去了舞子饭店吃了午餐,这里是自助餐形式,经常有不同的地区或国家的美食,这次我们去的时候,是宫崎县的美食周。所以,吃到了很多宫崎县当地的美味。下次去的话,不知道会是什么美食周呢。
下午,我们首先去了明石海峡大桥,乘电梯到了8楼,这里可以从上往下观赏大桥,虽然是一部分,也很震撼!这座大桥是全世界最长的吊桥,用了10年的时间才建设完工。大桥的完工,使得淡路岛和神户之间的关系更加紧密了。大桥成了连接内陆和淡路岛的纽带。如果你胆子够大,还可以登上300米高的塔顶,从上面俯视整座大桥,还有这个城市。不够这个需要提前预约报名才可以。
最后一站,我们去的是移情阁---孙文纪念馆。中国人一般称为孙中山。这里是在神户的华侨吴锦堂赠送给神户市的,由于当年孙中山先生到访过此地,后来就改为孙中山纪念馆了,在馆中保存了孙中山先生很多有纪念意义的文稿,照片,以及服装等。如果你是对历史文化很有兴趣的人,请你不妨来这里参观看看,也许会有一些意想不到的收获。
就这样,充实的一天在夕阳的照耀下结束了。
神户市的每个区都有不同的色彩。下次有时间也要去探访一下别的地方。
2015年 秋日
谢沛睿 (Xie peirui)
中国 山西省 太原市出身
2001年来日,神户在住。
垂水区訪問
2015年10月29日
晴
同行者:湯川さん
訪問場所:五色塚古墳,明石海峡大橋,孫文記念館
さわやかな秋の日、私は幸運にも垂水区のいろんな場所について深く知る機会得た。日本に長く住んでいても、その理解はまだまだ浅く、垂水についてもあまり知らなかった。最初に訪れた五色塚古墳は、4世紀の前方後円墳で、古墳の上に立ち、その長い歴史から生まれる英気を感じた。その後の昼食をとった舞子のレストランでは、食品ウィークが開催中で、なんと兵庫県ではなく九州宮崎県特産品のおいしい食事をした。
午後は、舞子大橋の8階にエレベーターで昇り明石海峡大橋の橋の上から海を見下ろすという非常に衝撃的!な体験をした。この大橋は10年の年月をかけ建設された世界最長の吊り橋だ。橋の完成で淡路島と神戸の関係がより密接になった。高所恐怖症の人には海上300メートルの高さから見る橋の全景は忘れられないものになるだろう。
最後に海に浮かぶ夕日に照らされた国父記念館、中国の人々からは孫中山と呼ばれている孫文記念館に行った。この博物館にはたくさんの写真やいろんなものが保存されており、神戸で中国との関わり深いたくさんのもので出会うとは!と大きな驚きを覚えた。
神戸の各区は、それぞれ別の色を持っている。一か所行けばまた別の場所にきっといきたくなるだろう。
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