加納城
と周辺のフカボリ加納城
加納城は徳川家康の義理の息子である奥平信昌の居城として知られています。「関ケ原の戦い」後に岐阜城は破却され、その代わりとして天下普請として築城されました。縄張は家康自ら行ったとされ、普請奉行は本多忠勝が務めたそうです。建材は主に岐阜城のものが用いられ、岐阜城山頂にあった天守を移築して、二ノ丸御三階櫓として利用したと伝えられています。また、歌川広重の『木曽海道六十九次』のうち「加納」に加納城の一部が描かれています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:かのうじょう
縄張形態:平城
天守縄張、天守形式:独立式層塔型
天守の階数:3重4階
天守の種類:非現存
天守メモ:
天守台には建物がなく御三階櫓を天守の代用としていた。この御三階櫓は岐阜城天守(望楼型)を層塔型に改築して転用したとされているが、1728年(享保13年)に焼失した。
築城主:徳川家康
築城開始年、完了年:1601年(慶長6年)(1603年(慶長8年))
廃城年:1871年(明治4年)
主な城主:奥平氏、戸田氏、安藤氏、永井氏
遺構:石垣、堀跡
指定文化財:国史跡
| エリア |
岐阜県岐阜市
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|---|---|
| 住所 |
岐阜県岐阜市加納丸の内
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| URL | |
| 俗称 |
後期加納城
叶城
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| 作者 |
徳川家康
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