武蔵松山城
と周辺のフカボリ武蔵松山城
松山城は武蔵国中原の要衝として、関東の諸勢力による激しい争奪戦が展開された城です。扇谷上杉家の事実上最後の当主である上杉朝定が河越城を失った後に居城としましたが、扇谷上杉氏が滅亡すると、松山城は北条氏康の手に渡ります。1561年(永禄4年)には上杉謙信により攻め落とされますが、わずか2年後の1563年(永禄6年)に北条氏康と武田信玄の連合軍によって奪還されています。その後は北条氏の配下となった上田氏の居城となりますが、小田原征伐の際に前田利家・上杉景勝らに包囲されて落城しました。現在、空堀の遺構がきれいな状態で保存されています。また、2008年(平成20年)、菅谷館跡(嵐山町)、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに「比企城館跡群」の名称で国の史跡に指定されています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:むさしまつやまじょう
曲輪構成:梯郭式
縄張形態:平山城
築城主:上田友直
築城開始年、完了年:1399年(応永6年)
廃城年:1601年(慶長6年)
主な改修者:上杉朝定、北条氏康、松平家広
主な城主:上田氏、難波田氏、扇谷上杉氏、太田氏、桜井松平氏
遺構:空堀、土塁
<電車でのアクセス>
- 東武東上線・東松山駅から徒歩25分
| エリア |
埼玉県比企郡
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| 住所 |
埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
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| URL | |
| 俗称 |
武州松山城
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| 作者 |
上田友直
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