山崎城
と周辺のフカボリ山崎城
山崎城は「応仁の乱」の前から築かれていた城で、京都を防備するに細川晴元らが城主を務めています。羽柴秀吉と明智光秀が織田信長の後継者を争った、いわゆる「山崎の戦い」では羽柴軍が山崎城に陣取ったため優勢となり、光秀は逃亡、討死する結果となりました。秀吉はその後、清州会議で長浜城を手放すこととなったため、大坂城を築城するまでの間、姫路城よりも京に近いこの城を本拠地としています。交通の要所であったため、軍事、経済の両面において重要な城でしたが、現在はハイキングコースとなっています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:やまざきじょう
縄張形態:山城
標高(比高):270.400m(240.000)
天守メモ:
不明だが、天守が建っていた可能性がある。
築城主:林直弘
築城開始年、完了年:1338年(延元3年/暦応元年)以前
廃城年:1584年(天正12年)3月25日
主な改修者:細川晴元、豊臣秀吉
主な城主:林直弘、薬師寺国長、細川晴元、豊臣秀吉
遺構:土塁、櫓台、天守台、空堀、井戸、竪掘
<山崎城の見学情報・施設案内(更新日:2014-04-22)>
営業時間:
見学自由
料金(入城料・見学料):
無料
休み(休城日・休館日):
年中無休
写真撮影:
可
<駐車場について>
有料(山崎駅周辺に大山崎町立有料駐車場あり)
<電車でのアクセス>
- JR京都線・山崎駅から天王山山頂まで徒歩約30分
<車でのアクセス>
- 名神高速道路・大山崎IC→国道171号
<駐車場について>
有料(山崎駅周辺に大山崎町立有料駐車場あり)
エリア |
京都府乙訓郡
|
---|---|
住所 |
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎
|
地図アプリで見る大きな地図で場所を見る | |
URL | |
俗称 |
天王山城
天王山宝寺城
宝寺城
山崎宝寺城
宝積寺城
|
作者 |
林直弘
|