茨木城
と周辺のフカボリ茨木城
茨木城は中川清秀の居城として知られています。清秀が賤ヶ岳の戦いで戦死したあとは息子の秀政が継ぎ、その秀政が三木城へ移封となったあとは豊臣秀吉の直轄地となりました。「関ケ原の戦い」後は賤ヶ岳七本槍に数えられた片桐且元とその弟の貞隆が城主として入りました。且元は大阪方と徳川方の間に入り、豊臣家の存続を図りましたが、淀殿に疎んじられ、豊臣家中から徳川方の内通者と疑いをもたれたため、茨木城を捨て江戸へ下向しています。「大坂夏の陣」終了後、江戸幕府の「一国一城令」によって、摂津では高槻城のみが残り、茨木城は廃城となりました。現在、茨木小学校には奈良の慈光院に移築された櫓門が複製されています。また付近にある茨木神社の東門は搦手門が移築されたものだと伝わっています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:いばらきじょう
縄張形態:平城
天守メモ:
天守があった可能性があるが詳細は不明。
築城主:茨木氏か
築城開始年、完了年:15世紀初頭以前
廃城年:1616年(元和2年)
主な改修者:中川清秀
主な城主:茨木氏、中川清秀、片桐且元
復元状況:移築搦手門、復元櫓門
<茨木城の見学情報・施設案内(更新日:2014-05-16)>
営業時間:
見学自由
料金(入城料・見学料):
無料
トイレ:
なし
<駐車場について>
市営中央公園駐車場
<電車でのアクセス>
- JR東海道本線・茨木駅から15分
- 阪急電鉄京都線・茨木市駅から10分
<車でのアクセス>
- 名神高速道路・茨木ICから10分
<駐車場について>
市営中央公園駐車場
エリア |
大阪府茨木市
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住所 |
大阪府茨木市片桐町
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URL | |
俗称 | |
作者 |
茨木氏か
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