熊本城
と周辺のフカボリ熊本城
熊本城は築城の名手と謳われた加藤清正によって築かれた名城です。江戸時代から残る宇土櫓や「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣が有名です。清正は籠城戦になった際の対策として120カ所の井戸を掘り、また食料確保のため城内の建物の土壁にかんぴょうを塗篭め、畳床には食用になるずいきを用いるなど、実戦的な城でした。のちの西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」といったそうです。なお天守は西南戦争で焼失したため、現在ある天守は復元されたものです。また一口城主制度でも有名で、集まった寄付金で復元整備事業が進められており、2007年(平成19年)に復元された本丸御殿にある昭君之間は清正が豊臣秀頼を密かに匿うために造られた部屋といわれています。
提供元:(C)攻城団
よみがな:くまもとじょう
曲輪構成:梯郭式
縄張形態:平山城
城郭規模: 内郭:20.000ha 外郭:98.000ha
天守縄張、天守形式:連結式望楼型
天守の階数:3重6階、地下1階
天守の種類:復元(外観復元)
天守の高さ:32.000m
天守台石垣の高さ:16.000m
天守の広さ(延床面積):0.000平方メートル
天守メモ:
「一の天守」とも呼ばれる大天守は、一般に5重の天守として見られているが、2重目にあたる部分と4重にあたる部分のものは屋根ではなく庇とするので、正確には3重の天守である。天守台から少し張り出す「張出造(はりだしづくり)」で、張り出し部分には石落しが設けられていた。この複合式望楼型天守は1877年(明治10年)、西南戦争開戦直前に失火により焼失。現在の復興天守は1960年(昭和35年)に熊本国体開催と築城350年を期に、1億8000万円の費用をかけて外観復元されたもの。
築城主:出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)、加藤清正(熊本城)
築城開始年、完了年:1469年〜1487年頃
廃城年:1874年(明治7年)
主な改修者:加藤清正
主な城主:加藤氏(54万石)、細川氏(54万石)
遺構:現存櫓、門、塀、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)、国の特別史跡
復元状況:外観復元:大小天守、平櫓、馬具櫓。木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間
<熊本城の見学情報・施設案内(更新日:2014-06-03)>
営業時間:
- 開城時間:8:30
- 閉城時間:4月〜10月:18:00、11月〜3月:17:00
- 最終入城時間:4月〜10月:17:30、11月〜3月:16:30
料金(入城料・見学料):
- 大人:500円
- 高校生:500円
- 小中学生:200円
- 団体割引あり(30人以上)
- その他:旧細川刑部邸共通入場券あり
休み(休城日・休館日):
12月29日〜31日
トイレ:
- 本丸内各所にあり
- 本丸御殿内にあり
コインロッカー:
- 入場券売場横にあり
写真撮影:
可
<駐車場について>
有料
<電車でのアクセス>
- JR鹿児島本線・熊本駅から熊本市電に乗り継いで、「熊本城前」電停下車
- 市内を巡回する九州産交バス・熊本城周遊バス(しろめぐりん)もあり
<車でのアクセス>
- 九州自動車道路・熊本IC
<駐車場について>
有料
| エリア |
熊本県熊本市
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|---|---|
| 住所 |
熊本県熊本市本丸1-1
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| 地図アプリで見る大きな地図で場所を見る | |
| URL | |
| 俗称 |
銀杏城
千葉城
隈本城
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| 作者 |
出田秀信(千葉城)
鹿子木親員(隈本城)
加藤清正(熊本城)
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| 営業時間 |
08:30〜18:00
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